「なんのための仕事だろう」——大企業で感じた違和感
まず、学生時代から聞かせてください。少し変わった経歴だと伺いました。
大学では社会福祉を専攻していたんです。きっかけは母で、幼稚園の先生をしていて、障がいのある子どもたちとも関わる仕事をしていました。世の中だと、理解がないと白い目で見られてしまうこともある。でも母の話を聞いていると、何かが少し苦手だからこそ、別のところがすごく秀でている、というポジティブな面がたくさん出てくるんです。人の良いところに目を向けることに、強く興味を持ちました。
学生時代は、中学はバスケ、高校は陸上の短距離、大学はラクロスと、ひたすら運動ばかりしていましたね。
卒業後は、ダイキン工業に入社されています。
私立の中高一貫に通わせてもらって、大学まで出してもらって。両親にお金をかけてもらった、という思いがすごくあったんです。だから社会に出るときは、大きい会社に入ることが一つの恩返しになるな、と勝手に思っていて。とにかく大手を軸に探して、ダイキン工業に入りました。配属は大阪で、エアコンの部品を買う調達の仕事を4年間やっていました。
その仕事に、違和感もあったと。
調達の最大の使命はコスト削減なんです。長くお付き合いのある部品メーカーさんほど、内部事情も分かっている。それなのに、毎年コストカットを迫らないといけない。相手が苦しんでいる姿を間近で見て、なんのための仕事なんだろう、とつらくなって。お互いが笑顔でいられない仕事って、しんどいよなと思ったんです。
一方でトレーナーは、自分の働きかけでお客様の笑顔や健康をサポートできて、その笑顔をすぐ近くで見られる。それってすごく幸せだなと思ったんですよね。
ずっと蓋をしてきた、トレーナーへの憧れ
もともと、トレーナーへの憧れはあったんですか。
高校の陸上部にトレーナーさんがついてくれていたんです。同期にオリンピック選手がいるくらいの強豪校で、選手を支えるその姿を見て、かっこいいなとずっと思っていました。でも大学に進むとき、体育系や専門系に行く選択肢もあったのに、両親のことを考えると、専門的に学べる大学は自分から外してしまって。しっかり四年制大学に通って、良い会社に就職して親を安心させたい気持ちのほうが強かったんです。
その気持ちに、ずっと蓋をしてきた。
そうですね。人生の岐路に立つたびに、自分のやりたいよりも、両親の想いを優先してきました。それが、結婚というタイミングで変わったんです。尾崎の家から離れて、良い意味で心の距離ができたというか。このまま先のことを考えたとき、いま挑戦しなかったらすごく後悔する、と思えて。そこでパッと出てきたのが、トレーナーでした。
最初のアクションは何だったんですか。
私は大学もその分野ではなかったので、本当にゼロからです。まずは資格を取るために、NESTAの資格が取れる職業訓練校にちゃんと通いました。理論体系から教えてくれる学校で、なぜこの種目をやるのか、根拠をちゃんと考えながら提供するんですよ、と。あの学びは、いまもお客様に説明するときに生きています。何のためにこの動きをするのかを、必ず理論的な背景とセットでお伝えするようにしているんです。
独立、そして価値観の壁
資格を取ったあとは、どう進んだんですか。
都内のパーソナルトレーニングジムに正社員として就職して、5年間勤めました。自重を大切にしていて、根拠に基づいて指導する会社で、そこがいいなと思って選んだんです。
印象に残っているのは、2ヶ月に1回はぎっくり腰になってしまうお客様で。腰の不調のために、1日に予定を一つしか入れられない方でした。それでも、コツコツ2年ほど一緒に体と向き合って、ぎっくり腰に悩まされにくい状態まで、一緒に変化を重ねられて。いまでは、それまで諦めていた海外旅行も楽しまれていると聞いて、心から嬉しかったですね。
その後、独立されています。
企業向けに健康を届けたい、という想いがずっとあって。同じ想いを持った友人と二人で、法人向けのパーソナルトレーニングを提供しようと、事業設計からマーケティング、営業まで、すべてゼロからつくっていきました。飛び込みで企業を回ったりもして、1年ほど。社会に必要だと思うことを、自分たちの手でストレートにサービスにできるのは、すごくやりがいがありました。
ただ、それは続かなかった。
最初は同じ想いだったはずなんですが、やっていくうちに、ベースの価値観が違うと分かってきて。私はビジョンやミッションを一番大切にしたかった。でもパートナーは、お金の優先順位が高かったんです。1年間、ちゃんと利益にならない状態が続くのが、彼女には苦しかった。考え方の違いが生まれて、解散することになりました。それでも、企業に健康を届けたいという想いは、私の中で消えなかったんです。
「からだの保健室」に出会って——THE PERSONを選んだ理由
数ある選択肢の中で、THE PERSONを選んだ決め手は何でしたか。
一人でも多くの人に運動の機会をつくろうとしていて、法人向けにもサービスを広げているところです。話を聞いてみて、思ったよりちゃんとした会社だな、と正直驚きました(笑)。私は企業に届けたい、と点で考えてしまっていたんですが、THE PERSONはその先の広がりまで考えたうえで『からだの保健室』という形にしていた。一人でやるより、同じ想いの仲間と一緒のほうが、ずっと遠くまで、広く届けられる。それがリアルに感じられたんです。
入社後は、どんなふうに歩んできたんですか。
最初はトレーナーとして、お客様との信頼関係づくりからでした。途中、店舗の主軸だった男性スタッフが異動することになって、そのお客様を退会者を出さないように引き継ぐ、というのが最初のミッションで。当時の責任者にも入っていただきながら、丁寧に引き継いで、無事に乗り越えられました。
そこから1店舗を任されるフェーズに入って、徐々に担当が増えて、いまは4店舗。2ヶ月前からは、ずっとやりたかった『からだの保健室』の現場オペレーションにも入らせてもらっています。